自己紹介

 

とむくるです。

自己紹介しますね。

私の趣味は、映画鑑賞、音楽鑑賞、旅行が好きでずっと続けています。
インドアときもあればアウトドアのときもあります。

 

エピローグ

 

映画鑑賞が好きになった直接的なきっかけというは、実はありません。

ただ唯一のご縁といったら、母方の伯父さんがクラシック音楽が好きで、一緒に映画も好んで観ていました。

 

昔の映画ってシーンに合わせて、クラシック音楽の楽曲が流れていることが多かったのです。

ときどき私が伯父さん家に遊びに行くと、書庫を見ると次々とビデオやCD、カセットテープが増えていったのが分かりました。

 

 

このときは、まだ子どもでしたから、「ET」「ゴースト・バスターズ」「ドラえもん(映画版)」あたりを観ていたのです。

 

当時は、映写機を使っていて、近くの公民館や体育館で巡回で観ることができたんですよ!

 

 

”演じる”とか舞台装置を作る。はじまりは高校だった

 

私は小学校や中学校のクラス、学年全体での学芸会などで、「どんな役をやったんだろうなあ」って、思い返してみたことがありました。

ですが、どうも出てこないのですよ!(もう、はるか昔のことになりますし・・・)。

 

出会いというか、”演じる”とか舞台装置を作るといった本格的になったのは「高校」からでした。

 

高校受験ですが「平均より下」というのが、当時の成績だったので、私立高校への入学は確実。希望する高校への合格というのは担任もおろか、私も両親も心配していました。

 

何とか危ぶまれていた高校に「奇跡の合格」というのを。果たしたわけです。

 

部活動の勧誘って独特ですよね、高校になると!

「さあ、高校生活ではどんな部活を!」ということで硬式テニス部を訪問してみました。

さすがに地元の、いろいろな中学校出身の人々が入部を検討しているではありませんか!

 

私も中学校の軟式テニスの試合は出たことはありました(格好よくもないし、上手いわけでもない)。

硬式テニスなのでその延長線で!ってことを考えていましたが、「上には上がある!」「試合にも出させてもらえない」・・・。

 

「これじゃ、無理だわ」「もう、勝負決まったかも」。
公式テニス部には、そんな印象しか残りませんでした。

 

実際に、お試しで入部体験はしてみたのですが・・・。やっぱり上には上がいるし、格好いいイケメンもいるわけで(笑)。

 

 

文化部も回ってみました。

「自分にできるもの」「興味・関心の強いもの」っていうのは、精神的には良いものですね。

 

「漫画研究部」「映画研究会」「科学部」「写真部」・・・まあ、いろいろありました。

 

 

演劇部

 

 

多数ある文化部のなかで、何かに惹かれたように「演劇部」に入ってしまいました。

入学オリエンテーションのなかに「部活動の紹介」があり、演劇部は最後の最後で「短劇」をしたんですよ。

 

その短劇に出ているキャスト・スタッフともすべて女子生徒。

芸能の世界ではあたりまえの「おはようございます!」って。

役者・スタッフ紹介も聞き慣れない「演出」「照明」「音響」・・・なんていう業界用語も出てくる。

 

 

私には、何もかも新鮮でした。

 

 

最後の最後で短劇を持ってきたのも、おそらく直近で高校演劇で「全国大会にも出場」という実績があったからでしたね。

 

だから、

「あっ!何かすごいぞ~」「おもしろそー」って。

 

こうして、私の心をぐっと惹きつけ、"凄く演劇部に入部したい感”がずっと胸高く踊っていたのです。

 

舞台裏でもよくて、自分がステージに立つとかなんて、全然意識していなかったのですけどね・・・。

 

高校演劇に熱が入ってた3年間

演劇部あるある

出典:めけぽんビンゴ

 

日中の授業が終わり、夕方の時間になってくると一斉に部活動が始まる。

 

制服からつなぎ(作業服)に着替える。

部室は外にあって、倉庫を改造したもので、夏は暑く、冬は寒い。

 

そして、校舎に入るには上靴を履き替えるという、面倒臭さもあった。

発声練習、稽古の場所としては、学校の4階にある屋上まで、階段で昇らなければならなかった。

 

最初は、演劇部に代々伝わるという「△★高演劇部体操」から!

なぜNHKのラジオ体操でもしないのか、正直わからなかった・・・。

 

けれども、「演劇のための体操メニューであり、先の先輩たちが作ったものだ」そうで。

今、演劇部はあるのかな。もしあったとしたら演劇部体操って、残っているのかな。もう変わっているかも。

 

演劇部体操が終わると、発声練習へ。

「あ、い、う、え、お、あ、お、あお」「か、き、く、け、こ、か、こ、かこ」って感じで、屋上越しに見えるグランド、500メートルしかはなれていない中学校の建物、目先の会社に向かって、ひたすら発声をする。

 

私には、早口ことばは、まあ苦手だった。もっとゆっくり話しなさい、って言われることはあったのだけど、トラウマがあったことは事実だ。

 

私ながら、舞台にも出させてもらったり、舞台の裏へまわったり。

脚本とか衣装とかは、あまり分かってはいなかったけれど、舞台装置(照明や音響)、大道具あたりは、かなり力入れていましたね。

 

 

 

 

 

町の公民館を貸し切って定期公演を行ったり、高校演劇の大会に出場したり・・・。

 

良い思い出ばかりです。

 

少しばかし写真あります。

あの頃の写っている自分の姿を見ると、ほんとうにあどけない少年だなあって、つくづくと思います。

「もう、あの頃の青春はもう帰ってこない。」

 

演劇に夢中になっていた10代青春。

 

演劇→映画 ~映画鑑賞が好きになったきっかけ~

 

大学も早く決まり「さあ、演劇部に入ろうかな!?」なんて思っていました。

だけど、高校演劇の華やかさといいパワーみたいなものが感じられなくて・・・断念。

 

サークル体験期間中だけ入ってみましたが、「4年間サークル活動楽しめるかな」と、魅力がなかったのです。

 

(まだ1、2年生のときは、サークルの掛け持ちしていました。)

 

でも、社会人になって演劇のワークショップとかには参加したことがあったんですよ。

 

大学生って忙しいんです。

通学からはじまり、授業、サークル、ゼミ、ボランティア、付き合いと、何かと学生生活を充実させていかなければならないでしょう。4年間というか、実質3年しかないと思うと、必死だったんですよ。

 

そのぶん、何にしても「お金」は必要です。当然、バイトもいろいろしました。

単発モノもありましたが、長期的にバイトをしたのが、レンタル店のTSUTAYAでした。

 

90年代前半。TSUTAYAが次々と全国に規模を展開、拡大していく時期でした。

 

わたしの住む街にもTSUTAYAができるというので、早速応募して採用してもらいました。
0期でバイトができるなんて、新鮮そのものでしたね。

 

ちょっと駅から、自宅から通うには遠すぎたのですが、スタッフにも恵まれ、「TSUTAYAからビデオレンタル」という時代の潮流に乗って、仕事ができたことを、今でも自負しています。

 

なので、「あの頃」のことについて、親・兄弟が言うには、

 

・新店舗のスタッフとして長く勤めることができたこと
・ビデオ/CDレンタルに籍を置いたこと
・90年代というビデオ・CDセル・レンタルが隆盛の時代のなかで仕事ができたこと
・店長・スタッフともども仲良く仕事ができたこと

 

など、「良かったよね」って言ってくれるのです。

 

当時の私は19歳でした。

「クラシックだけが、音楽だけじゃない」っていうことも、一緒に教わったのです。

カセットからCDへ!

B’Z、ドリカム、槇原敬之、Trf、globe、SPEED・・・、すごいでしょ。

 

今では、大御所のようなバンドやボーカリストもいますよね。

 

「演劇ができないこと」への物足りなさ、もどかしさというものはあったにせよ、その埋め合わせという感じで、TSUTAYAでのバイト、レンタルして見始めた「映画」の世界を踏み込んだことで、自分だけでなく映画のs会を開拓していったのだと、そう自分を分析しています。

 

 

 

ビデオ・CDセル・レンタルが隆盛 ~90年代~

 

邦画ドラマ

 

 

 

90年代を振り返ります。

国内では邦画ドラマが流行っていましたね。

「東京ラブストーリー 」や「妹よ」「振り返れば奴がいる」などです。

 

ドラマが注目されると、主題歌になっているものはCDレンタルもセルも売れます。
売り上げが伸びていきます。

 

おかげさまでバイトは厳しくも楽しく過ごせました。

レンタル店なので、飲食店のようにがっつり食事補助(=まかない)はありませんでしたけれど。

 

レンタル数に制限はありましたが、「無料レンタル」ができて、とても嬉しかったですね。

バイト代も欲しいし、CD・ビデオレンタルもしたい。ついでにMD(ミニ・ディスク)へ録音したい曲もあったので、バイトも入れる回数を増やしていましたね。

 

日中は学校だから授業の無い、薄い日にシフトを入れたり、忙しい土日はフレキシブルに入れてもらって、頼ってもらえるようにしましたね(笑)

 

洋画・海外ドラマ

 

 

 

洋画のほうを思いすと、そう言えば「ディカプリオ様」と世間が騒いでことがありました。

本の特集やTVすごかったですね。

『タイタニック』や『三銃士』の作品が、続けてヒットしましたから!

 

おかげさまですごいレンタルの回転率で、売上げにも貢献しました。

もう結構な頻度でバイトに入ってましたよ。

 

今はDVDですけど、返却されたレンタルビデオをジャンル棚に戻すのって以外と重労働なんです(笑)
重いんですし、腕がパンパンになります。

 

 

 

それから「海外ドラマ」。

昔から海外ドラマはありました。
知っている人なら「大草原の小さな家」「シャーロックホームズ」とかでしょうね。

 

ビデオが家庭に普及してレンタル店が台頭してくると、次々と作品がリリースされ、レンタルしやすくなりました。

90年代というのは「海外ドラマ」が、より一層世間に知られるようになったと言えます。

超常現象をテーマにしたストーリーといったら、世界でも日本でもヒットした「Xファイル」。
TVでもそれに類した番組がたくさん作られましたね。

 

 

 

それからNHKでも放送され人気だった「フレンズ」そして、医療系なら「ER緊急救命室 」。

 

どれも海外ドラマとして認識された、有名・草分け的な作品たちです!
私もかなり夢中になっていましたから。

 

逆に知らない人のほうが少ないのではないでしょうか。

 

映画鑑賞の時間を

 

時代は少しずつ動いていきます。

これまでの店舗型のレンタル店だけではなく、宅配レンタルサービスも始まっていました。

 

ちょうどデフレの時期とも重なっていたこともありましたが、店舗間で、そして宅配どうしで価格競争が起きてていました。そのためかなりの安めの値段でビデオ・DVDを観ることができるようになりました。

良しも悪しくもです。

 

そして「動画配信サービス」が出てきましたね。スマートフォンやパソコンでネットを通じて気軽に見られるわけです。

こうみても時代の流れ、移り変わりを感じさせられます。

 


 

私は現在会社員をしていますが、惜しくも身体を壊してしまいました。

なかなか回りからは気づかれない内部障害を患ってしまい、治療を続けています。

 

治療は長期的なものになるため映画鑑賞の時間を作っては楽しんでいます。

もちろん、仕事優先のときは観られないときもありますが・・・。

 

その時々の自分の気持ち次第で、観るジャンルを変えてみたり、突如シリーズものを制覇したくなったりと、思い気ままに観ています。

 

作品の良しあしもあるでしょう。
俳優・女優さんの好き嫌いもあるでしょう。

最後まで作品を観たいのだけど、なんか面白くなくて途中で打ち切りにしてしまうことだってあります。

 

~映画で心に刻み込まれた<1本>~

 

映画のなかから出てきた台詞が、キャッチコピーが、タイトルで座右の名となることもありますね。

 

私の心のなかに刻み込まれたものは、

 

20代前半になって観た映画、ロビン・ウィリアムズ主演の「いまを生きる※」という映画でした。

 


 

※原題:「Dead Poets Society(死せる詩人の会)」

 

 

「今を生きる」ことを自分の変わらぬモットーとしています。

 

シンプルなんですけど、ただそれだけです。

 

 


 

 

 

私は"演劇"をそして"映画"にも出会えることができ、それらの作品にめぐり会えたことに誇りに思っています。

残念ながら、すべての作品に目を通すことはできませんが、惹きつけられたのも何かのご縁なのだと思います。

 

時間が許す限り、これからもよい映画やドラマ、アニメ、TV作品を見続けていきます。