ジョニー・ランボーは、多くの軍事名誉勲章を獲得したベトナム戦争の帰還兵である。 彼は、とあるいなか町で浮浪者のように徘徊していたため逮捕されてしまう。 彼は拷問じみた嫌がらせを受け、逃走することを決意する。 脱獄囚狩りが開始されるが、ランボーはトラップを回避する方法を熟知している。 元上司のトラウトマン大佐は彼に降伏するよう説得する。
監督:テッド・コッチェフ
ランボー:シルヴェスター・スタローン
保安官:ブライアン・デネヒー
トラウトマン大佐(ランボーの元上官):リチャード・クレンナ出典:Amazon
ランボーシリーズはこちら
公開年 | ランボーシリーズ | メモ |
---|---|---|
1982年 | 『ランボー』(First Blood) | ←今回 ・原作は『一人だけの軍隊(First Blood)』。終わりが違う。 ・ランボーは、ベトナム戦争で心に追った兵士たちへのレクイエム(鎮魂歌) ・最後の10分。ランボーのすがる姿が本質そのもの。 |
1985年 | 『ランボー/怒りの脱出』 | ・本作は『ランボー2』にはなっていない。 |
1988年 | 『ランボー3/怒りのアフガン』 | ・ランボーとアフガン・ゲリラが協力して、ソ連部隊と戦う内容 |
2008年 | 『ランボー/最後の戦場』 | ・前作から20年ぶりの続編・舞台はミャンマー。スタローン曰く「極力のヒーロー性を排除し、現実の悲惨さを訴えたかった」 |
2019年 | 『ランボー』(Last Blood) | ・前作から11年ぶりだが日本非公開(9月20日全米公開) ・ランボーの正真正銘となる最後の戦い。メキシコの麻薬カルテルと激闘を描く ←日本未公開、情報求む! |
映画『ランボー5:ラスト・ブラッド(原題)』US版予告編(日本語字幕)
2019年、ランボーシリーズの第5作品『ランボー』(Last Blood)が公開されました。
前作『ランボー/最後の戦場』から11年ぶりでしたが、日本での公開はありませんでした。
時代は移り変り、現アメリカの国境問題に反映したメキシコ麻薬カルテルを相手にランボーが戦うという、設定となっています。
若き日ランボーから37年もの年月が経っていますが、順当に1作目⇒5作目と順番に観ていくのが良いです。
なお、作品の評価としては、「2作目以降はアクション等は凄くなっていったが、内容が薄くなってしまった」「ランボー2や3は娯楽映画」「アクション・エンターテイメントが色濃くなった。ランボーの真髄は1作目に有ると思う。」と言う声が聞かれますね。
スタローン映画では、1作目の『ランボー』(First Blood)が、NO.1の映画と評される人が多いようです。
ランボーシリーズ『ランボー』(First Blood)を観る
ランボーを観ましたよ(ネタばれはありません)。
はじめて『ランボー』(原題:First Blood)を観るなら、当時の時代背景を知っておいたほうが良いです。
なぜなら、(あなたも私もそうですが、)日本の制度上で徴兵されたこともありませんし、戦争に行ったこともありません。
戦争の歴史は教科書や関連資料、TVやネットといった映像でしか知ることができません。
確かにお隣の国では大陸間弾道ミサイル(ICBM)に使われるエンジン燃焼実験が行われていて、アメリカや日本を煽っているという現実、危険性はあります。
ずっと日本で住んでいる限り、体験することはないのではないでしょうか(平和ボケというものです)。
この『ランボー』の時代背景にあるアメリカは、ベトナム戦争( 1955年11月1日 ~ 1975年4月30日)から引き揚げたあとの話しです。当時の日本は傍観国でしかありませんでした。
アメリカは降伏したわけではなく、派遣した軍隊を撤退させたのでした。なので「負けた」わけではありません。
しかし国や軍の姿勢・態度というのは冷たく「戦争は終わったのだから勝手に故郷に帰れ」とばかりに、放り出したというのです。
派遣した軍隊はベトナム帰還兵となり、戦地から国へ。
ここで考えて欲しいのです。
戦争です。帰還兵は異国の地で生死を彷徨いながら異常な空間から帰って来たわけです。フラッシュバックやトラウマ、今で言う戦争による強い心の傷(=PTSD(心的外傷後ストレス障害))を抱えていました。
国に帰ってきたら・・・。
アメリカと言う国、社会風潮に、人は・・・。
参戦し帰ってきた彼らにこんな風に問い詰めていたのです。
「多額の戦費を使っているのに、なぜ勝てなかった。どういうことだ。」
「お前らはいったい何をしてきたんだ!」と。
繰り返される無理解、冷遇。
ランボーと同じように帰還兵は「国のために戦ってきたのに、帰ってくれば・・・。」「友も死んだ。いったい何の為に戦ってきたのか」と自問自答を繰り返しながら、苦しんでいたわけです。
抱える強い心の傷についてのケア、カウンセリングは無いに等しく、アメリカの国、社会からの隔離され、執拗な者扱いにされてしまいました。
そのため社会復帰もできず、ひっそりと暮らす人もいたそうです(そんな帰還兵は月日が経ち、今では高齢者となっています)。
ベトナム戦争は反戦ムードの高い戦争でもありました。
この反戦ムードのなかで生まれた曲が、「Give Peace A Chance」(邦題:平和の祈りをこめて)/ジョン・レノンとヨーコ / プラスティック・オノ・バンド なのです。
名作です、一度は耳にしたことがありますよね。
まとめにかえて
この映画『ランボー』はテレビでは、幾度か再放送されてきました。
私としては30数年ぶり観ました。
この1作目が出たときは小学生でした。家庭科が入ってきて簡単な料理ができるようになった位ですね。
野外合宿を行って山登りや食事づくりも経験しました。薪を拾う、火を熾す、食材を切る、米を炊く、カレーを作る・・・。はじめての野外サバイバルだったのです。(今の時代どうなのでしょうか?)
First Bloodとは、「誰が最初に仕掛けたのか」という意味です。
その誰がというのは、ランボーか保安官かということになるのですが・・・・。
・ランボーはベトナム帰還兵とはいえ、グリーン・ベレーというアメリカ陸軍所属の“特殊部隊“のひとりでした。
「グリー・ベレー1隊員=陸軍歩兵200人に相当する戦力」を持っているわけです。彼のもっとも強みが発揮できるところが片田舎の野外であり、野外サバイバルもできる。町に降り立っては、保安官や州兵にそして町を反撃するくらいまで、社会に対して戦いを挑むことになります。
・悪役!?傲慢な片田舎の保安官という存在。ランボー同等いやそれ以上に大きいです。
無理解や冷遇な社会風潮にあるなか、「浮浪人」「異邦人」のような帰還兵ランボーは、保安官にとって自分の町では歓迎できず、置いておけない存在です。邪魔なわけです。
保安官というのは、治安だけはお固く守るだけ、町の平和だけが関心ごと。事故も事件が無くて当たりまえ。保安官としての権威性や信頼性を維持したい。ただそれだけなのです。
彼こそが、国や社会風潮を映している鏡だと言えるわけです。
テーマ(主題であり、副題)を挙げるならば、「人種差別」「ベトナム帰還兵のPTSD」「アメリカという国家、社会風潮」となるでしょう。
それらを各々ランボー、保安官、大佐の立場から考えてみると分かりやすくなります。
なぜ劇中の舞台が都会でなく、あえて片田舎なのか?
野外から町の中へと戦いの場が下りていく。断壁アクションや山中ゲリラ、町の破壊といったように。
ここに緻密な人間描写や舞台設定が作られており、『ランボー』1作品目の醍醐味だと思うわけです。
追伸:
『ランボー』は後々のほかの映画でも「ランボーのつもりか」という台詞がある位、影響力を与えています。
また危険な崖から飛び降りるシーンをスタント無しで行い、肋骨など4本を折った等といったエピソードがあるように、スターロンには思いの詰まった作品であり、シーリズでもあるのです。
ベトナム戦争を描いた作品も紹介しておきましょう。