緩まないネジ道脇裕/母は?名言・本は?コロナ禍でも新発明続々/カンブリア宮殿・プロフェッショナル

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今回カンブリア宮殿で登場するのは、道脇裕
さんです。

 

カンブリア宮殿【異色の天才発明家 驚き発想力の秘密!】
2021年6月17
日(木) テレビ東京1   23:06〜23:54【放送済】

 

 

放送後の見逃し配信は、U-NEXT(ユーネクスト)で。

 

 

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目次

道脇裕さんプロフィール

道脇裕さんプロフィール

道脇裕さんのプロフィールをみていきましょう。

本名道脇 裕(みちわき ひろし)
生年月日/出身地1977年/群馬県生まれ
学歴10歳で小学校を“中退”した、自称「学歴なし」
職歴・技術者、実業家、イノベーター(=革新者)、発明家
会社2009年 株式会社 NejiLaw(ネジロウ)を設立
現、代表取締役社長
発明・緩まないネジ「L/Rネジ」の発明
・握力ゼロでもペットボトルの蓋が開けられる器具の発明 
など
・特許出願第1号は、最後まで固まらず使える「ペン型のマニキュア」ツール
これまでの特許案は2万件超
備考・「午後の紅茶」のレモンティーは、糖分を摂取するのに10本程/日は飲むそう
・「FRISK」も携帯
・アイデア・・・すぐ描き出せるよう、どの部屋にも壁がホワイトボード仕様になっている
メディア出演(直近)・BSニュース 日経プラス10(2015年)
・プロフェッショナル 仕事の流儀(2016年)

道脇裕さんプロフィールから

『NejiLaw(ネジロウ)』というベンチャー企業の代表取締役を務めている道脇裕さん。

いろいろと調べてみると、道脇さんが開発した“緩まないネジ”というのがすごい!

(上述した)プロフィールでも紹介しましたが、学歴が10歳で小学校を“中退”したというのも、にわかに信じがたいのです。とにかく、いろいろと驚かされました。(詳細は以下で。)

道脇裕。昭和80年代、やんちゃな道脇少年だった。母には・・・


道脇裕さんは、1977年に群馬県に生まれます。

当時父は化学企業の研究所所長、母は東京外語大学物理学担当の助教授でした。
また、祖父は群馬大学の名誉教授であり、前橋工科大学の初代学長でもありました。このように、道脇さんの家系は理系研究者に囲まれていたのです。

 

幼少期の頃は、難聴を患っており発音の仕方がよく分からなかったので、本を読んだというよりは挿絵や説明図といったページを眺めていたといいます。そのため、図鑑や実験の本が好きだったそうです。

聴力のほうは、数年かけて治療したおかげで治ったそうです。

 

道脇少年は、とにかくやんちゃな少年だったそうですが、いくつかの逸話があります。

(時代的には、昭和80年代です。私とほぼ同じような年齢層、学校も2キロくらいあったそうで・・・)

通学路なんていうのは無視してはどこか寄り道。家に帰ってきても、母親は大学の助教授していたので帰りが遅いこともあって。

近所のゴミ捨て場に捨ててあったガラクタを拾い集めては、組み立てたり、また壊してみたり、そんなことを繰り返していたそうです。

道脇少年の身長・体重以上もあるような車のパーツやレジスターなんかも持ち込んでは、「一体どういう仕組みなんだ」って感じで、自分なりに調べていったそうです。いろいろなことを吸収していったのですね。

 

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(私が知る限り、道脇少年は、当時流行ったキン消しとかファミコンとか、スーパーカー自転車に乗ったという話しが出てこないんですよね!?)

 

また、学校の帰り道など頭のなかでは、中学校で習うような√(ルート)を頭の中で考えたり、組み立てたり壊してみたりしていることで、自然と発想力や計算力が身に付いていたと言います。(←もう、ここから違いますね。)

道脇さん曰く、「記憶力は良くて、そのためか理科は好きだったけれど算数の授業は退屈な時間だった」と語っています。

 

物理学担当の助教授である母親は教育者ではありますが「勉強しなさい!」と言われたことは無くて、とかく研究熱心なため、大学にいることが多かったそうです。そのため、道脇少年は、「研究室に連れていってほしい」と頼み込んだそうです。

こうして道脇少年はは、母親の研究室で電子工作に没頭するようになっていき、小学校5年生(10歳で小学校を“中退”)で自主休学するのです。(←ちなみですが、法律上「全ての日本国民」は学校に通っていなくても、適齢に達するれば、自動的に「中学校卒業」の学歴が与えられるとされています。なぜなら義務教育だからです。)

道脇裕。無知さゆえに「なんて自分はバカなんだ・・・。」

道脇さんは中学、そして高校と進学はしますが、授業も退屈なようで、ほぼ休学がちでした。

この間、見習い漁師やとび職などを経験します。しかし、それらも長くは続きません。

道脇さんは、ただこれまで、小学生のようにガラクタを拾い集めては、組み立てたりまた壊してみたり、電子工作に没頭したりといったことよりも、生き物や自然の力に触れる機会が増えたことで、多くのことを学んだと言います。

自分の余りの「無知さ」ゆえに、もっと世界を見てみたいのだと。

 

高校も退学となり、17歳にして、自らハウスクリーニングを行なう事業を立ち上げます。事業こそ順調だったものの椎間板ヘルニアを患ってしまいます。

(体育、部活動の怪我、あまりしたくないですよね、椎間板ヘルニアはキツイです。私は20代のころに介護の仕事をしていた時期があって、1回だけなりました。腰痛はつきもの対策はしていましたので、その後は影響は無かったですが。介護職をしていて思ったこと。腰を痛めると、後々何もできないんだよなあってこと。世の中、ほんとうに腰痛で苦労され、治療している人たくさんいることを思い知らされます。)

道脇さんは、この時「体を使えないのなら頭を使う道しかない」と悟ります。

しかし、小学校5年生(10歳で小学校を“中退”)で自主休学で学校に通っていないし、自称「学歴なし」。色んなアイデアばかりは思い浮かんでくるけれども、勉強をしていないから一般常識とか教養っていうのが、全くない。

「なんて自分はバカなんだ・・・」と。

 

このような自分のバカさに気づき、ニュースを見るとか、漢字を学習するとか、とかく学校でいう「教科・科目」を問わず学んでいきました。

道脇さんが知ったことは、学校でいう「教科・科目」というものが、すべては必要最少限の共通項目で構成されたモノ、それが「教育カリキュラム」である、ということを知らされたそうです。

 

(だから、日本では小・中学校を義務教育としているのです。道脇さんは、結果的に自分のバカさに気づき、自ら「教育カリキュラム」を組んで、学んできたということを、後々知ったわけですね。

 

一通り学んだところで、記憶力の良い道脇さんですが、「受験日まで3ヶ月」という期間のなかで大学受験資格検定(大検)も試み、合格しています。これまたすごいことです。

ただ道脇さんは、この時「国内の大学に通いたい!」という気持ちは無くて、「海外の学校」に対して肯定的な印象を持っていたと言います。

 

この後、道脇さんの知り合いで佐藤敦さん(アッちゃん)から留学の勧めもあって、コロラド州の大学に留学します。が、5日で退学してしまいます。佐藤さんは「道脇らしい」と笑顔で返しています。

留学から”遊学”にして、半年ほどアメリカに滞在し、帰国しました。

道脇裕。多難な19歳。“緩まないネジ”原型ここに生まれる。

 (まず、「こんなことがあるのか!」とあなたも一声を上げると思います。)

 

道脇さんが19歳のときに、自動車事故に3回もあってしまいます。走行中にタイヤが外れる事故、2つ目が運転中にハンドルが外れる事故・・・。

このことが、「僕にとって大きな転換点」だと。

 

この世の中に、さまざまなところでネジが使われていますね。橋梁やビル、家具、テレビ、スマホ・・・数えられない位に。

 

 

道脇さんが曰く、「緩むことのないネジがこの世に存在すれば、このような事故は一切起きない。」「螺旋構造ではない特殊なネジ山を形成することで、絶対に緩まない構造を造り出せる」のだと。

こうして、大事故の経験から“緩まないネジ”「L/Rネジ」が考え出されたのです。

 

(道脇さんにとっての19歳は大災難だったと思います。ですが、このような自動車事故を経験していなければ“緩まないネジ”「L/Rネジ」は、生まれて来なかったとも言えるわけですよね。) 

道脇裕。“緩まないネジ”からNejiLaw(ネジロウ)たちあげる

  道脇さんは“緩まないネジ”「L/Rネジ」を考え出したとき、特許を出願するとか事業化しようとは、思っていなかったそうです。道脇さんが曰く「L/Rネジ」は頭の中にある、ひとつのアイデアの過ぎなかったのだと。


(しかし、日本の科学(化学)やアイデア、研究に対する補助は、世界から見ればかなり少ないと、挙って大学教授など研究者は言いますね。)

 

道脇さんも同じように苦労していました。お金が無いのです。いろいろとアイデアをもとに実験したり、設備を整えたりしてがいきますが、何せ自分が納得いくレベルまでの研究はできないでいたのです。

道脇さんの知り合いで、岩渕正詔さん(岩さん)や新藤晴久さん(新藤先生)といった方々の手もあって、道脇さんの頭の中にある発明やアイデアを、事業化のために動き出そうと尽力していきました。

 

そのストックされた発明やアイデアの数は200ほどにのぼり、淡水化システムとか、ソーラー発電の仕組み、ウエアラブルメガネ、多次元コードなどなど。

それらストックされた発明やアイデアのなかの1つに、“緩まないネジ”があったのです。

こうして、2009年に“緩まないネジ”「L/Rネジ」を手がける小さな会社、NejiLaw(ネジロウ)が立ち上がったのです。その後、メンターであった岩越万里さんや大村泰三さんといった方々も、NejiLaw(ネジロウ)に合流していきました。

 

東京都ベンチャー技術大賞 既成概念を変える「ねじ」が受賞


繰り返し、研究開発や商品化に漕ぎつけるのには、多額の費用がかかります。道脇さんは、たくさんの賞レースに応募することにしました。その結果が次のようなものでした。↓↓↓

↓ 

・2011年2月、新技術開発財団の助成に採択
・2011年8月、川崎起業家オーディションの「大賞」を受賞
・2011年10月、「東京都ベンチャー技術大賞」を受賞
・2011年11月、「GOOD DESIGN賞」の「金賞」を受賞・・・・「ネジ」が受賞するのは1957年の賞創設から【】めて。


2011年3月11日。思い起こせば、東日本大震災が発生し、被災地では甚大な被害を被りました。

橋梁や建物などの多くの建造物が被災し、破壊されているのを目の当たりにし、道脇さんは、“緩まないネジ”の重要性を改めて再認識したといいます。

 

翌年2012年には、経済産業省の「戦略的基礎技術高度化支援事業(サポイン)」に採択され、量産技術の開発に着手することになりました。

道脇裕さん格言集

道脇さんの格言をいくつか挙げてみます。何か刺さるものがありましたか。

愛情が大事。僕の場合は何かモノ考えたり発明したりとかっていうのは、もちろん頭でやる行為かもしれないですけど、頭を動かしている原動力っていうか指図にしているのは何か、心である。心が頭を使っているっていう、頭は心の道具であるっていう僕の捉え方ですね

道脇裕の格言

専門家とか、すごい技能のある人とか、すごい研究の腕の立つ人とかが散々やってきて見つからないんだったら、その中には答えがない可能性が高いですね。要は常識という枠の中には答えがない。であれば常識の外のものを持ってきた方が早い

道脇裕の格言

これまでに何百億人、何兆人も人が地球上を歩いたかもしれないけど、たかだか何百億人、何兆人なわけですよ。その人たちが積み上げてきているものって膨大だけど有限なんですよね。それが織り成しているものが現代の常識なわけです

道脇裕の格言

従来の常識の外側に答えがある

道脇裕の格言

 

 

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まとめ 

道脇裕。コロナ禍のなかで次々新発明品・・・。

2020年、世界各地でコロナ禍に陥りました。終息(収束)はまだ見通していません、3、4年はかかるのでしょうか。

“緩まないネジ”「L/Rネジ」を手がける、道脇さんのNejiLaw(ネジロウ)のホームページ覗いてみました。

コロナ対策に関する発明品ありました。

【新発明】『Dr.Pocket/ドクターポケット』『Dr.AiR/ドクターエアー』『Dr.GuM/ドクターガム』といったものですね。特許出願したものもありました。(詳細は←ここからどうぞ。)

 

道脇裕。“緩まないネジ”「L/Rネジ」は『日本の発明・くふう図鑑』のなかに

道脇裕さんに関する書籍や格言集こそありませんが、『日本の発明・くふう図鑑』(岩崎書店)には、「L/Rネジ」が紹介されています。発明品の本ですから、楽しめると思います。

・書籍はこちら

 

 

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