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今回プロフェッショナル 仕事の流儀で登場するのは、小倉智昭さんです。 

 

プロフェッショナル 仕事の流儀
2021年6月8
日(火) NHK総合1    22:30〜23:15【放送済】

 

放送後の見逃し配信は、U-NEXT(ユーネクスト)で。

 

 

小倉智昭さんプロフィール

小倉智昭さんの経歴(プロフ)、みていきましょう。

本名小倉智昭
生年月日1947年5月25日
出身地秋田県秋田市
学歴世田谷区立梅丘中学校⇒中央大学附属高等学校⇒獨協大学外国語学部フランス語学科
部活動スポーツ好き
陸上部(中、高、大)・・・大学陸上部は2年で退部。足を怪我したこと、バンド活動で稼げるようになっていたこと。
職業・経歴・時事通信社社会部記者→東京12チャンネル(現:テレビ東京)アナウンサー→フリーアナウンサー
・司会者
・経営(販売、飲食店)
出演番組等 『世界まるごとHOWマッチ』『どうーなってるの?!』
『小倉智昭の夕焼けアタックル』『嵐の宿題くん』
『情報プレゼンター とくダネ!』など多数
趣味ゴルフ、オーディオ、野球は西武ファン
「今、一番逢いたい人」辛坊治郎(2021/3/15放送分)

小倉智昭さんプロフから

小倉智昭さんは秋田県で生まれました。


スポーツの好きな少年で、中、高、大と陸上部で活躍されました。このスポーツ好きは、父親の教育方針によるものが大きく、「友達を多くつくるために、勉強よりも体を鍛えること」というものでした。

 

そのため、学校での成績は「体育」だけが跳び抜けて良く、陸上競技の記録を伸ばすことばかり夢中になったとも言います。

 

(勉強が嫌い、身につかない、習慣にならない子どもの場合、運動に夢中になっていることも多いです。私の弟は、まさしくそんな小学生の時期を過ごし、サッカーに夢中になりました。県や都道府県の大会に参加し、県外遠征までしていました。その分の費用捻出に、親は大変苦労したと思います。思えばサッカーシューズなど、結構な値段しますからね。)

 

大学受験では当初は中央大学に進学するもの、できるものとと考えていたようです。が、「スペイン語を学びたい」など、さまざまな理由で思うような大学に行けなかったり(不合格)したこともあって、結果的に獨協大学外国語学部フランス語学科へ入学することになりました。

 

受験生ならば、高校や大学で味わう最初、いや二度目となるような挫折感、失望感を感じる場面であるでしょう。

 

 

もっとも小倉智昭さんが、幼少期のころから悩んでいたというのが、「吃音症」でした。吃音症といっても軽いものから重いものまであります。加えて秋田出身であることからも、訛りもひどかったと言います。

このことから、小倉智昭さんは吃音症小倉智昭を克服すべく、アナウンサー職に就くことにしたのです。

 

吃音症で悩んでいる人は、世の中にたくさんいると思います。

小倉智昭さんのように、あえて喋ることを仕事とする、業とする人というのは、なかなかいないのではないか?と思います。

 

私はこのエピソードは知らなかったのですが、一番最初に思い出した映画がありました。
『英国王のスピーチ』(2010)ですね。吃音に悩まされたイギリス王ジョージ6世のタイトル通り、克服していったお話しになります。

~あらすじ~
スピーチができない男が、国王になった―。
吃音に悩む英国王ジョージ6世が自らを克服し、国民に愛される本当の王になるまでを描いた感動の実話。

ジョージ6世は、王になどなりたくなかった。兄のエドワードが、王室が認めない愛のために王冠を捨てたことから、予期せぬ座についたのだ。しかも彼には、吃音という悩みがあった。スピーチで始まり、スピーチで終わる公務の数々に、いったいどう対処すればいいのか? 心配した妻のエリザベスは、スピーチ矯正の専門家、ライオネルの診療所に自ら足を運ぶ。堅く閉ざした心に原因があると気付いたライオネルは、ユニークな治療法で王の心を解きほぐしていくのだが ―。

出典:Amazon

 

小倉智昭さん『情報プレゼンター とくダネ!』が終了

小倉智昭さんが1999年4月1日の放送開始から22年間も司会を務めた、フジテレビの朝番組『情報プレゼンター とくダネ!』は、2021年3月26日終了しました。

同一司会者による全国ネット情報番組として日本一の放送回数(※)を誇る長寿番組でした。
2016年7月28日、『とくダネ!』の放送回数が4452回となった。

 

その時のコメントですが、感謝を述べながら

「まだ、すべてをやり遂げてはいませんが、そろそろ次世代のキャスターに席を譲る時が来たようです」

と述べました。

 

倉智昭さんの持っているこの鋭いトークは、「小倉さんならではの人生」そのものなんだろうと、私は考えます。

まず、時事通信社の社会部記者を経ていることやフリーアナウンサーに転身後は、まったく仕事が入らず鳴かず飛ばずの状態が続いたこと。

そのために生活がままならず、税金だけでなく、公共料金や養育費などの支払い滞納が続いたといいます。
そして、「質屋と古本屋には本当にお世話になった」と語っています。

 

生活のこと、税金のこと、この先のこと・・・。

何でも目にしたり、耳で聞いたりしたこと、話しをしてきたことから、何もかも見えてくるものなのです。考え続けるようになってきます。

アナウンサーや司会もされていますし、さまざまな業・職種のことから世界のことまで、情報量も半端なく入ってきます。自らも発信していかなければなりません。

これが「22年間」という司会をし続けてきたの、倉智昭さんの、番組の結晶なのではないかと思うわけです。

個人的には、菊川怜さんがMCを務めていたの頃はよく観ていました。東大の建築を卒業した秀才で綺麗でした。懐かしいです。

小倉智昭さんが‘’転機”となった番組アーカイブ

タミヤRCカーグランプリ』(1984年10月5日~1999年3月28日まで放送)では、軽快で個性的なナレーション(自称「小倉のお兄さん」)で、小。中学生からの注目を集めました。

 

世界まるごとHOWマッチ』(1983年4月7日~1990年4月5日)は毎日放送で放送されていました。

(私は小学生~中学生の頃で、社会科の勉強に持ってこい!で、好きな番組でした。)

大橋巨泉さんが司会者でした。放送のオープニングで『大橋巨泉の世界まるごとHOWマッチ』とコールされているところは、小倉智昭さんのもので、新鮮でした。

 

また、「あの人が!」という人々が、解答者として参加していました。

石坂浩二(1枠)、ビートたけし(2枠)、外人枠でチャック・ウィルソンorケント・ギルバートですね。

 

このように、小倉智昭さんの「甲高い声」と「早口」で洒脱なナレーションで、次第に認知度が高まり、売れるようになってきました。当時のキャッチフレーズは “七色の声を持つナレーター”と呼ばれていました。

『世界まるごとHOWマッチ』↓ここでも紹介してます。

小倉智昭さんと被るところがある「私」

私のことを話しをしますと、小倉智昭さんと被るところがあります。一つは「吃音症」、二つ目は「演劇部」に行ったということです。

 

私が小学生のときに「吃音症」を治すべく、近くの小学校にて「ことばの教室」に通った時期がありました。小学生の低学年のときです。先方の予約もあったので、授業から抜け出すということもありました。

 

また、とにかく耳や鼻が弱く、風邪はひきやすい。
隣の町の耳鼻科まで通うような生活が続きました。低学年で何とか完治することができました。

 

「ことばの教室」でのメニューと言いますか、訓練ですが、苦手な「か、き、く、け、こ」とか「さ、し、す、せ、そ」など息が抜けやすいものがまず苦手で、まあ恥ずかしさもあったでしょう。

そもそもモグモグな感じで、声が小さかったうえに、発声することを途中で止めることもありました。

 

「ことばの教室」の先生との訓練。

泣いたり笑ったり、怒ってみたり、癇癪持ちになってみたり・・・。小学生男児ならではの言動だよなあ~と、今でも記憶として蘇ってきます。

我が息子のために仕事を一時抜けて、送り迎えをしてくれた、通院に付き添ってくれた母に感謝しています。

 

中学生のときは、他校からの生徒も入ってきて、優柔不断な性格もあり、すっかり「いじめられっ子」になってしまいました。

しかし、そんな中学時代も終わり、自分ではまったく望みの無かった公立の高校に合格し、入学することができたのです。

年齢16歳。人生最大にして自分を褒めたたえたい!ときでした。高校生活を充実させるぞ!ただ、それだけでした。

学業成績も全クラスで10〜20位をウロウロする感じで、中学生のときではあり得ない力が漲っていました。

部活動も然り!

演劇部に入った理由は、入学時の部活動紹介にとても感動したことは言うまでもありませんが、どこか自分をもっと自信を持ちたい!人前で表現したい!という、そんな気持ちがあったからでしょう。

また、早口言葉など、どこか苦手としているところを「少しでも言えればなあ〜」と考えていた節もあったからなのです。

 

「とくダネと」言ったら小倉智昭さん。番組は社会人になって始まって、長きに渡ってフジテレビの朝番組に出られていることは知っていました。

さすがに私に「話す」「進行する」「案内する」などといったような職業を選ぶことは、高校、大学在学中でも眼中にはありませんでした。

 

しかし、社会人となり現場から事務職に転職することがあり、ビジネス上で何を相手に伝えるのかという『話し方』を学ぶ必要性が出てきました。

なので、東京の某『話し方』セミナーへ訓練・練習しに行きました。これも、自分の弱さ、「うまく相手に伝えるようになりたい!」という思いからです。

円滑な人間関係を築きあげるためにも、言葉や表現というのは、とても大事ですからね。

まとめ

小倉智昭さんは、近年になって一転して「老害」とまで言われるようになったとも語っています。(←公式ホームページの予告映像あり)。

『情報プレゼンター とくダネ!』から22年。

「老害」とまで言われるようになった背景にはもちろん、小倉智昭さんが年齢を重ねていった点もありますが、22年という間に、発信・受信手段がFAX⇒メール⇒SNSへと変遷していったことが、大いに関係あると言えます。

私たちは誰しもがスマートフォンや携帯を持ち、安易に批評や批判、誹謗中傷ができるようになってしまっています。

実際、番組でどう語られているのか気になりますが、少なくとも「老害」とまで言われるようになった原因は↑ここ↑にあり、ということを小倉さんは認識しておかなければならないのでは、と私は思うのです。

 

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