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とある療養施設にひとり暮らす初老の女性。
老いてこそいるがたたずまいも美しく過ごしている。しかし、彼女は情熱に溢れた若い時代の想い出をすべて失ってしまっている。
そんな彼女のもとへ定期的に通う初老の男。デュークと名乗るその男は、物語を少しずつ読み聞かせている。
語られるのは1940年代のアメリカ南部の小さな町の、きらめくような夏の物語―。【キャスト】
アリー・ハミルトン:レイチェル・マクアダムス
ノア・カルフーン:ライアン・ゴズリング
認知症の老女:ジーナ・ローランズ
デューク:ジェームズ・ガーナー
フランク(ノアの父):サム・シェパード【スタッフ】
監督:ニック・カサヴェテス
脚本:ジェレミー・レヴェン、ジャン・サルディ
原作:ニコラス・スパークス
出典:Amazon
歌謡界の大御所でミュージシャンの吉田拓郎さんが、某ラジオ番組で「昨日、映画を観て泣いた」と仰っていたのが、今回紹介する『きみに読む物語』です。
ストーリーの展開に賛否両論はあるのですが、素直に観てくださいね!
『きみに読む物語』は実話!?
舞台は1940年代のアメリカ南部の町シーブルックでの、少女アリーと青年ノアの恋と、そして愛を描くラブストーリーとなっています。
『きみに読む物語』は、小説家ニコラス・パークスの小説、原題『The NoteBook』を舞台化したものですが、その『The NoteBook』に書かれていることとは、アリーが綴った「ノアとの愛の物語」である、ということ。
老女アリーは認知症を患っており、5分間しか記憶が戻らないのです(大変なことです)。
認知症は少しずつ進行していくものです。だから「忘れてしまっていく過去」を留めておきたかったのです。
ストーリー自体からしても、その"記憶"というものは、白い鳥の群れの中にボートシーンがあったり、夜になれば吐息が真っ白になり、昼間は半袖の姿になっていたように、シーブルックの郊外なのか、寒暖の差が激しい避暑地のようです。
それらのシーンにレトロ調の音楽に乗せて・・・、映像が綺麗でした。
綺麗であるということは、アリーの「美化された過去なのか」、「若し日の過去なのか」どうか。
私の想像ですが、あまりにも綺麗だったので、おそらく美化されているのかなと感じました。
いずれにしても、アリー目線でその"記憶"を、過去を描きだしているのに違いありません。
認知症が進み、"奇跡"というものは起こり得るものなのだろうか?
改めて「奇跡」という言葉を調べてみました。
奇跡とは「起こり得るが極めて可能性が低い事象が起きること、または科学的に説明のつかないような要因で可能性が低いことが発生すること」の雅称であり、普通は良いほうが起きた場合の意味で使われることが多い。 超低確率な側が発生した場合でも、発生事象に科学的な説明がつく場合は「奇跡的」と言われる。
引用:ニコニコ大百科
奇跡というものは本当に起こらないものなのです。軽々しく「奇跡だ」なんて言ってはいけないような気がしてきます。
5分間しか記憶が戻らない老女アリー。私も"奇跡"を信じたいと思いました。
「もしアリーの記憶が戻った状態でいるのなら、老いたノア(≒デューク)に"奇跡"起きることを望む」ことを。
しかし、"奇跡"は違うところで起きました。
「同じベッドで夫婦共に最期を迎えてしまうっていうってこと、あるだろうか?」
それはそれで夫婦として羨ましいし、理想的な"奇跡"なんだけれども。
最後のシーン。これで良かったかどうか、正直悩みました。「えっ、やり過ぎかな」「なんかもったいない」ような・・・感じで、観終わりました。
老いたノア(≒デューク)が、認知症になってしまったアリーに物語を読んであげているシーンが、まさしく現実なのであり、若し日のシーンがアリーにとっての過去であり"記憶"でもあるし、脚色されまたは真実な過去である、ということは言えよう。
ノアは、アリーが綴った「ノアとの愛の物語」を読んで聞かせて「どう感じ取っているのだろうか」「どんなふうに思いだしているのだろうか」。
アリーと同じような過去の"記憶"なのか、脚色されまたは真実な過去なのか。
あなたにはどのように見えてきましたか?
私的になりますが、この『きみに読む物語』とは、アリーが綴ったノアとの物語であると同時に、ひたすら"奇跡"を信じてきたノアからアリーへの一途な「愛」なんだろうと思いました。
私は男ですが、"奇跡"を信じてアリーの綴った物語を読み続けるって、おそらくできないと思います。
本当に献身的に相手を想っていないと、絶対に続けられないですよね。
今、相手のことをどのように接してあげられるのか、話しを聴いてあげられるのか・・・など、そのようなところから続けられたら、と思いました。
『きみに読む物語』の感想を
アリーを演じたレイチェル・マクアダムス、ノアを演じたライアン・ゴズリング。撮影当時は20代でした。
見事に10代・20代を演じ切りました。レイチェル・マクアダムスの出世作とも言われていますし、ライアン・ゴズリングもまた爽やかなところが印象的です。
しかし『きみに読む物語』において、平凡な癖にないキャラクター設定していては、面白くないのですよ!
貧困層のちょっと軽い子だななんて思っていたノアだけど、仕事はまじめだし意外と一途でした。
アリーは富裕層なのでお嬢さんなんだけど、天真爛漫な性格ところ(私も惹かれたところではあるのですが、性格上、背中をもう一押しして欲しいタイプなので)。
この二人に貧困と富裕層、そして性格の間にギャップがないと、話しが進まないと思うのです。
キャラが嫌いとか『純愛』だとかそうじゃないとか、そう言っている場合じゃないんです!
この『きみに読む物語』、直接に映画館で観たわけではありませんが、時代背景は1940年代のまさしく第二次世界大戦前後のお話し。
男性・女性、未婚・既婚・離婚、恋愛中・・・と世代によっても、「恋」「愛」の受け止め方がまったく持って違って良いのだなあ~と、感じました。
アメリカンなノリのラブシーンは若いときだからできるのであって、年齢でも重ねればちょっとできないですよね(*≧∀≦)ゞ;。
子ども・10代→多感な時期にノアとアリーは出会い。「ひと夏の恋」を過ごす。
20代→アリーのお母さんが、2人を引き離す。これも貧困と富裕層という高い壁があり、母親としての経験で同じようなことを娘にも繰り返したくはない。
子どもから大人になって「何かを得るためには、何かを何かを犠牲にしなければならない」「「何かを欲するためには、何かを失わなければならない(失わなければならない)」ということに気づく・・・。
親になること→父親でも母親でも良いけれども、生活や経済面での不安な彼に、娘をあげたくない。貧しい生活で苦労させたくない。
あなたにも同じような場面あったのではないでしょうか。今、同じ境遇にたたされているのではありませんか?
今も昔も相通ずるところって、あるものなのですね。
まとめにかえて
これは女性向けの映画なのでしょうか?男性が観てもいいと思いますよ。
時代は1940年代のアメリカですが、あれから80年が経ち、時代はかなり進んでしまいました。
ストーリーの展開に賛否両論はあるのは、良いのです。ここは日本ですし、アメリカの恋愛が受け止められないという方もいました。
しかも、ネットやSNSの進化もあって、恋愛事情も全然違ってきています。もちろん婚活や結婚のほうも。
「今風で観てしまう」「変な固定観念」で観てしまうのはもったいないかなと。
それから認知症のほう、現代においてはごく当たり前の現実的な問題です。
あなたは大丈夫ですか?ふっと、思い立ちましたから。
恋も愛もそして私もあなたも。今と言う時間は過去の積み重ねなのです。
「あなたは、歳を重ねていったときに誰と一緒にいたいですか?」
作品の紹介
『きみに読む物語』の同様なストーリ仕立ての作品、関連作品を紹介しておきますね。
・『タイタニック』
・『ある愛の歌』
・『ひまわり』
・『エターナル・サンシャイン』
・『シェルブ―ルの雨』
こうみていくと、青春=大恋愛したような人、初恋の人と結婚した人、自分を見失う位に恋をした人、今まさしく恋をしている人ならば、こちらもおススメしたいですね。